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2010年 イタリア合宿回想録 第1回

2010年10月、イタリア合宿に行ってきた。

フィレンツェはブルネッレスキとミケランジェロを中心に、ローマではベルニーニとボッロミーニを中心に、

ルネッサンスからバロックを眺めてみようという趣向である。フィレンツェからローマへの移動途中、

中世の街シエナに立ち寄った。ブログでは、合宿についてあまり建築的なことは書かないのであるが、

今回のイタリア合宿のブログでは少し建築的に踏み込んでみようと思う。

10月17日出発。
KLMにてアムステルダム乗り換えでフィレンツェ着は夜。少し散歩に出掛けた。

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↑  これはホテルのそばのヴェッキオ橋

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↑ 夜のドゥオーモ (サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)

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↑ イノシシの頭をなでるといいことがあるらしい。さて、明日に備えてとっとと寝る。

 

10月18日(月)
ドゥオーモとは聖堂のこと。フィレンツェのドゥオーモは正式にはサンタ・マリア・デル・フィオーレといい、

サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの塔(鐘楼)、ドゥオーモ (大聖堂) の三つの建築物でできている。

洗礼堂はロマネスク建築、ジョットの塔とドゥオーモ本体はゴシック建築、ドゥオーモのクーポラは

初期ルネサンスと3つの時代の混在する建築である。

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↑ サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの塔 (鐘楼) 、ドゥオーモ (大聖堂) の三つの建築物

クーポラとは円蓋(ドーム)のことでかつて川口市に多くあった鋳物工場のキューポラと同語源である。またドゥオーモもドームもギリシャ語のドムス(家)を語源としており・・・、ああややこしい。
さてこのクーポラ、設計者はフィリッポ・ブルネッレスキ。ルネサンス最初の建築家である。今回の合宿はこのブルネッレスキから始めようと思う。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は1300年代の終わりまでにゴシックの様式で大聖堂の身廊まで完成していたのだが、その上に巨大な屋根を掛ける方法がない。こんな巨大な木製足場を作る技術はなかったのだ。そこに現れたのがローマで古建築の研究を終えてきたブルネッレスキ。2重ドームで仮枠なしの案を提出しこれが採用案となった。

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現在この2重ドームの隙間を登って頂上まで行くことができる。8ユーロの入場料で、ガイドブックによれば頂上まで90m、424段の階段である。汗をかきながら階段を上ってフィレンツェの街を見渡すとさすが街ごと世界遺産、見所満載である。

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しかしブルネッレスキに絞ろう。西に大きく見えるのがサン・ロレンツォ教会で未完成のファサードが目印。後ろの巨大な冠みたいな建築は後の君主になったメディチ家が建てた君主の礼拝堂だが、これはちょっと成金趣味だしブルネッレスキとは関係ないので目に入れないようにしよう。

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↑ サンタ・クローチェ教会

東にはサンタ・クローチェ教会の中庭にパッツィ家の礼拝堂、中庭にある丸い円盤みたいな建築がちょっと見えている。
サンタ・クローチェ教会はフランチェスコ会最大の教会で様式はゴシック、ファサードはちょっと新しくて19世紀の改修、ネオ・ゴシックである。由緒ある教会で、ミケランジェロ、ガリレオ、マキャヴェッリらの墓所がある。

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これはミケランジェロのお墓。ローマで89歳で亡くなったあと、ここサンタ・クローチェにお墓ができた。
中庭の正面に目指すパッツィ家の礼拝堂が見える。
ところでブルネッレスキは一点透視図法を発見・確立した人。この一点透視図法による遠近の正確な表現は、親交のあったマザッチョ、ドナテッローによって取り入れられ、後のアルベルティ、レオナルド・ダ・ヴィンチそしてミケランジェロなど、幾多のルネサンス芸術家に影響を与えるのだ。では当の本人ブルネッレスキはいかにといえば、この礼拝堂を見れば一目瞭然だろう。

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↑ パッツィ家の礼拝堂

それまでの平面的なファサードから奥行き表現を獲得していることが解る。平面デザインから立体のデザインへこれは大きな進化でだ。ブルネッレスキが初めての建築家と呼ばれる所以がここにあるのだ。建築デザインを生業にする人は前のゴシックの時代にもいたようだが、平面ではなく立体を目で確認し、施主や職人と共有できる手法の確立はまさしく初めての建築家にふさわしい業績である。
この日はイタリア初日なので、後は軽くいくつかの建築(捨て子養育院、サントスピリト、ブランカッチ礼拝堂など)を見て晩御飯です。サントスピリト地区という職人たちの地区で観光客はあまりいないところのトラットリア“パンデモーニオ”に予約を入れておいた。“悪魔の巣窟”という物騒な名前の店である。

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↑ ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(キアーナ牛のステーキ)

前菜からどれもおいしいのだが、なんといても圧巻なのはビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(キアーナ牛のステーキ)。この店は雌牛にこだわっていて肉が少し軟らかく、日本人には好みかもしれない。今までにかなりの回数、様々な店でこのステーキを経験しているのだが、今日のが最高。いい一日だった。
(マキノ)