18世紀なかばにイギリスで始まった産業革命によって、ヨーロッパは瞬く間に工業化と合理化の時代を
迎えました。そして職人が手作りの一品生産でモノを作っていた時代から、工場でモノが大量生産され
て速く安く供給される時代へと移り変わって行きました。当然建築もその洗練を受けました。
工場で生産された高精度で安価な鉄材や板ガラスなどが、それまでにはなかった新しい造形や価値観
をたくさんもたらしたのです。しかし、そうした流れに異を唱える人たちもまた現れました。実用品はともかく、
建築などの文化芸術までもが大量生産で画一化されてアイデンティティーや人間性を失ってしまうことに
対して、彼らは警鐘を鳴らし続けました。そんな声のもと、産業革命とは対極の、懐古的・復興的な手作り
建築をさかんに創り出した建築家たちがいました。19世紀末の 「アール・ヌーヴォー」 と呼ばれている
芸術運動の一派もその一つです。
今回の体験授業で取り上げたヴィクトル・オルタ(ベルギー、1861-1947)は
アール・ヌーヴォーを代表する建築家の一人です。
過剰なまでに溢れんばかりの有機的な装飾で覆われた彼の建築作品は、
時として妖艶とも言える魅力と輝きをもって、世紀末のヨーロッパに一輪の花を
咲かせました。その影響は大変強く広くそして長く、海を越えた日本でも
村野藤吾などの作品に散見されるほどです。
しかしこの花はまた、短命なはかない輝きを持った花でもありました。
20世紀に入って資本主義が台頭し、さらなる重工業化を推進し続ける
ヨーロッパにとって、時間と費用がやたらとかかるセンチメンタルな建築は、
もはや時代の流れに取り残されたあだ花でしかなくなってしまったのです。
19世紀から20世紀へと至るそんな激動のヨーロッパをオルタは駆け抜けました。
若き日の絶頂期はアール・ヌーヴォーの旗手として、そして壮年期から晩年には
ベルギーを代表する国家的建築家として活躍しました。
しかしオルタは、時代の建築に同調しながら流行の最先端を歩むことを必ずしも
快しとはしていませんでした。パレ・ボザール(1928)ではキャピタリズムの象徴
である新古典主義を採り入れ、ブリュッセル中央駅(1952)ではオーギュスト・ペレー風の
近代主義で作品を作りましたが、オルタの作品には晩年に至るまで、若き日の
有機的曲線に満ちた輝きある建築への憧憬が強く見え隠れしているように思えます。
浪漫的で手作りで個人主義的な若き日のアール・ヌーヴォーの作品。そして規範的で
規格生産的で国家主義的な晩年の古典主義・近代主義の作品。この狭間にあって
ある種の葛藤とともに時代を生きた人。オルタに対して僕はそんな一抹の人間的興味を感じました。
体験授業では、短い時間でなんとかオルタのこうした輝きと苦悩を語ってみようと試みました。
お越し下さったみなさん、どうもありがとうございました。作品を通じて人間オルタ像の片鱗に
少しでも触れることができたならば大変幸せです。
(水沼 均)