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ミケランジェロとベルニーニ

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2015年12月23日(水祝) スライドの体験授業「ミケランジェロとベルニーニ」を開催しました。

誰もが知ってる、または名前は聞いたことがあるというミケランジェロ。
もうひとりは、ローマのガイドブックには必ず載っているけどほとんどの人が名前すら聞いたことがないというベルニーニ。
どちらも本業は彫刻家。そして彫刻以外に、建築家としても活躍していました。

なぜ建築の学校が彫刻家をテーマに取り上げるのか?それはものづくりの作り手(設計者)としてのスタンスがわかるからなんです。

クライアントの肖像を彫るとき、作り手として表現したいもの(彫刻としての絶対価値)を何よりも優先したミケランジェロ。

「あの・・・似てないけど」とクレームがついたとき、「100年経ったら似てるかどうかなんて誰にもわからん」と答えたという逸話が残っています。
自分の作りたいものが明確にあり、ブレずにそれを表現する姿勢がそこにはあります。

一方ベルニーニの彫る肖像は「本人よりも本人らしい」と評されるくらい、とてもよく似ていました。
ベルニーニは自分が作りたい、表現したいものに、さらに「観客目線」を取り入れた人でした。

◆「瞬間」を表現した彫刻

そんな2人の彫刻家(作り手)としてのスタンスが、「違い」としてはっきりと見てとれるのが「ダビデ像」です。
旧約聖書に登場する若きダビデ王が宿敵ゴリアテと対決する物語、その一場面を表現したものです。
特にミケランジェロが彫ったものは、美術の教科書に必ず載っているくらい有名ですね。
これ以前のダビデ像というのは、対決が終わってゴリアテの首を討ち取った後、つまり勝った姿を表現したものがほとんどでした。

しかしミケランジェロは、勝った姿ではなく「対決の瞬間」を表現したのです。
その「瞬間」とは、ダビデ王の精神のピーク。そこに、「フィレンツェ共和国の一員として共和制を守る!」というミケランジェロ自身のスタンスもこめて作品を彫ったのです。
そこには彫刻が観客から「どう見られるか?」という視点は存在しません。「彫刻」それ自体が全てです。

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それに対してベルニーニの彫ったダビデ像は、同じ「対決の瞬間」でも、観客側の感情のピークを表現しています。
今まさにゴリアテに向かって石を投げようとする、石が離れるその「瞬間」を切り取っています。

同じダビデ王の物語でも、作り手のスタンスでこれだけの違いが見えてくる、彫刻って面白いですね。

◆作り手のスタンスと時代

ミケランジェロとベルニーニ。
どちらの作品が優れているとか、作り手としてどちらのスタンスが良いとか、そういう話ではなく・・・

あなたは、(作り手として)どちらですか?

ということを問いかけるのに、とてもわかりやすい作品といえるのではないでしょうか。

そしてもうひとつ。
なぜミケランジェロのダビデ像はあんなに有名なのに、ベルニーニの方はこれまで知られてこなかったのか。
それは何を大事ととらえる「時代」だったのか、に鍵があると思います。

ミケランジェロのダビデ像を優れた作品として扱ってきたこれまでの時代は、「モノ」そのもので勝負する時代。「モノ」そのものに価値があるとみんなが考えていた時代。
それはモノが不足していた時代を経て、大量生産し大量消費できる時代でした。

そして現代。
「モノ」そのもので勝負する時代から、モノを使って「できごと」を楽しむ、作り手と観客が一緒に「こと」を共有する時代に変わってきました。
だからこそ、ベルニーニなんですね。今だからこそ、なんですね。
だからこんなに好きなんですね、だからこんなに熱く語っちゃうんですね、牧野先生は。

「え?今年もやるんですか?」
「今年もやります!好きなんで。」
きっと来年もやると思います。

ご参加くださったみなさん、どうもありがとうございました!

(牧野めぐみ)

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